外輪砲艦(ダブルエンダー)
Sidewheel Gunboats (Double-Enders)

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※cwtはハンドレッドウェイト(hundredweight)の略で、1cwt=45.3592kg
排水量:730t(旧測定法による総トン数) 甲板長:63.45m 幅:10.11m 吃水:2.62m 主缶:2基 主機/軸数:Merrick & Sons式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 兵装:228mmスムースボア砲1門、80ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、24ポンド砲4門(1862年には228mmスムースボア砲1門を増強、1863年4月には228mmスムースボア砲6門、100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、24ポンド・スムースボア砲1門) 乗員:134名
↑USS Miami (1862-65). Photographed during the Civil War. Frank W. Hackett, a former officer of the ship, wrote of this photograph in 1910: (it) "represents the Miami coaling from a schooner out in the sound somewhere, near Roanoke Island." That indicates that the photograph was taken in 1862-64, while Miami was serving in the North Carolina Sounds. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
マイアミ
12
Miami フィラデルフィア海軍工廠 1862/1/29 1865/5/22 ◎1861 起工
◎1861/11/16 進水
◎1862/9 ノーフォークにて修理
1864/4/19 プリマスにてアメリカ連合国海軍砲郭装甲艦アルベマール Albemarleの攻撃により損傷
◎1865/8/10 フィラデルフィアにて売却
◎1865/11/30 商船となる
◎1869 除籍


排水量:786t(旧測定法による総トン数) 全長:63.70m 幅:9.78m 吃水:3.04m 主缶:2基 主機/軸数:Harrison Loring式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:10.0kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲1門、24ポンド榴弾砲4門(1863年5月には279mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲1門を増強、1865年には279mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲4門、24ポンド榴弾砲2門) 乗員:111名
↑USS Maratanza (1862-1868). Photographed during the Civil War, circa 1862-65. She has windsails rigged for ventilation below decks. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
マラタンザ
12
Maratanza チャールズタウン海軍工廠 1862/4/12 1865/2/21 ◎1861 起工
◎1861/11/26 進水
◎退役後、ポーツマス海軍工廠にて改装
◎1868/8/26 A. B. & C. W. Lewisに売却され商船となる
◎1868 ハイチに売却され砲艦Salnaveとなる
1869/8/8 Gonaivesにて革命軍との戦闘により損傷
1869/11/13 Cap Haitienにて沈没
◎のちに引き揚げられ、修理、Unionと改名といわれる


排水量:1,070t(旧測定法による総トン数852t(マハスカは832t)) 垂線間長:69.55m 幅:10.08m 吃水:2.83m 主缶:2基 主機/軸数:Novelty Iron Works式inclined direct-acting機関1基(マハスカはMorgan Iron Works式inclined direct-acting機関1基)/外輪2基 速力:11.0kt 兵装:228mmスムースボア砲1門、100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、24ポンド榴弾砲4門(マハスカは1862年11月には24ポンド榴弾砲2門を228mmスムースボア砲4門に換装)(1864年には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲5門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド榴弾砲2門。マハスカは1863年5月には228mmスムースボア砲6門、100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、12ポンド榴弾砲2門) 乗員:148名
↑USS Sebago (1862-1867). Primitive sketch, reproduced as a photograph by T. Lilienthal, New Orleans, circa 1862-65. Courtesy of the Philibrick Collection, Kittery, Maine. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
マハスカ Mahaska ポーツマス海軍工廠 1862/5/5 1868/9/18 ◎1861 起工
◎1861/12/10 進水
◎1864/8? ボストンにてオーヴァーホール(〜1865/1/16)
◎1868/11/20  ボストンのJohn Doleに売却され商船Jeannetteとなる
◎1869 除籍
セバゴ
123
Sebago ポーツマス海軍工廠 1862/3/26 1865/7/29 ◎1861/5 起工
◎1861/11/30 進水
1863/6/18 Wassaw Soundにて座礁
◎1863/7/9 退役、ニュー・ヨーク海軍工廠にて修理、オーヴァーホール
◎1863/12/2 再役
◎1867/1/19  ニュー・ヨークにて売却


排水量:981t(旧測定法による総トン数829t) 全長:62.48m 幅:10.54m 吃水:1.24m 主缶:2基 主機/軸数:Neptune Works式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:11.0kt 兵装:80ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲1門、24ポンド砲4門(1863年7月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲1門、32ポンド砲(33cwt)2門、24ポンド榴弾砲4門、1865年7月には32ポンド砲(33cwt)2門、24ポンド砲4門) 乗員:118名
↑USS Octorara (1862-1866). Watercolor by Alex Stuart. Courtesy of the Navy Art Collection, Washington, DC. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
オクトララ
12
Octorara ブルックリン海軍工廠 1862/2/28 1865/8/5 ◎1861 起工
◎1861/12/7 進水
1862/6/28 Vicksburgにてスクリュー推進スループ・ブルックリン Brooklynの誤った砲撃により損傷
◎1862/7下旬? ボルティモアにて修理
1864/8/5 モービル湾海戦にてアメリカ連合国海軍の砲撃により損傷
1864/8/9〜23 Fort Morganにて沿岸砲台の砲撃により損傷
◎1866/11/9  売却


排水量:1,210t(旧測定法による総トン数863t) 垂線間長:65.86m 幅:10.78m 吃水:2.43m 主機/軸数:Reaney, Son & Archbold式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:10.0kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、279mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲2門、50ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲2門 乗員:148名
↑USS Paul Jones (1862-1867). Photographed by Byron, New York, possibly after the end of the Civil War. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ポール・ジョーンズ
12
Paul Jones John J. Abrahams 1862/4/26
(1862/6/9?)
1867/7 ◎1861 起工
◎1862/1/17(1862/1/30?) 進水
◎1864/7下旬? ニュー・ヨークにて修理(〜1864/9中旬?)
◎1864/9/19 チャールズタウン海軍工廠にて退役
◎1865/4/1 再役
◎1867/7/13  売却


排水量:1,163t(旧測定法による総トン数805t) 垂線間長:63.09m 幅:10.48m 吃水:2.37m 主機/軸数:Novelty Iron Works式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:9.5kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、254mmスムースボア砲1門、24ポンド榴弾砲6門(1863年4月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、254mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲2門、50ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド・スムースボア砲1門) 乗員:131名
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ポート・ロイヤル Port Royal Thomas Stack 1862/4/26 1866/5/23 ◎1861 起工
◎1862/1/17 進水
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
◎1866/10/3  ボストンにて民間に売却され商船となる
◎1886 除籍


排水量:993t(旧測定法による総トン数860t) 全長:62.48m 幅:10.66m 吃水:2.74m 主缶:2基 主機/軸数:John L. McKnight式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:10.0kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲1門、24ポンド榴弾砲6門(1863年には24ポンド榴弾砲砲2門を228mmスムースボア砲2門に換装)(1864年6月には150ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲3門、24ポンド・スムースボア榴弾砲4門、12ポンド榴弾砲4門) 乗員:122名
↑USS Cimarron (1862-1865). Contemporary lithograph, depicting her off Charleston, South Carolina, during the Civil War. Courtesy of President Franklin D. Roosevelt, 1936. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
シマロン
12
Cimarron D. S. Mershon, Jr. 1862/7/5 1865/8/17 ◎最初の綴りはCimeroneだった
◎1861 起工
◎1862/3/16 進水
◎フィラデルフィア海軍工廠にて艤装、就役
◎1863/1 フィラデルフィアにて修理(〜1863/4)
1864/2/15 Legareville近郊砲撃にて搭載している100ポンド砲の暴発により損傷
◎1865/11/6  売却


排水量:1,120t(旧測定法による総トン数819t) 垂線間長:63.70m 幅:10.39m 吃水:3.23m 主機/軸数:Neptune Works式inclined direct-acting機関1基(タイオガはMorgan Iron Works式inclined direct-acting機関1基)/外輪2基 速力:11.5kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、254mmスムースボア砲1門、24ポンド榴弾砲6門(ジェネシーは1863年5月には24ポンド榴弾砲4門を228mmスムースボア砲4門に換装、タイオガは1863年7月には24ポンド榴弾砲4門を32ポンド砲(33cwt)4門に換装)(1863年9月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、228mmスムースボア砲5門、24ポンド榴弾砲2門、1863年12月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、254mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲4門、24ポンド榴弾砲2門、1864年3月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門を撤去。タイオガは1865年6月には254mmスムースボア砲1門、60ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、32ポンド砲(33cwt)4門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門) 乗員:113名
↑USS Genesee (1862-1867). Off Baton Rouge, Louisiana, in March 1863. Donation of T. D. Wilson, USN. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ジェネシー
12
Genesee チャールズタウン海軍工廠 1862/7/3 1865/7/31 ◎1861 起工
◎1862/4/2 進水
1863/3/14 Port Hudsonにて沿岸砲台の砲撃により損傷、後に修理
◎1864 store shipとなる(〜1865)
◎1867/10/3  Purvis & Sonに売却されバークに改装、Hattie C. Besseと改名
タイオガ
12
Tioga チャールズタウン海軍工廠 1862/6/30 1866/5/8 ◎1861 起工
◎1862/4/18 進水
◎1864/6/29 退役、ポーツマスにてオーヴァーホール
◎1865/6/6 再役
◎退役後、ニュー・ヨーク海軍工廠にて係船
◎1867/10/15  売却


排水量:1,105t(旧測定法による総トン数955t) 全長:71.29m 幅:10.39m 吃水:2.65m 主缶:2基 主機/軸数:Novelty Iron Works式inclined direct-acting機関1基/外輪2基 速力:11.0kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、279mmスムースボア砲1門、24ポンド榴弾砲4門(コネモーは1863年5月には24ポンド榴弾砲4門を228mmスムースボア砲4門に換装)、12ポンド榴弾砲1門(1863年10月には228mmスムースボア砲4門を増強、1865年3月には12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を増強。コネモーは1864年1月には228mmスムースボア砲6門、100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド砲1門) 乗員:165名
↑USS Conemaugh (1862-1867). Photographed during the Civil War. Note 100-pounder Parrott rifled gun pivot-mounted just forward of her smokestack. The dark band painted around the smokestack may be an identification feature. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
コネモー
12
Conemaugh ポーツマス海軍工廠 1862/7/16 1867/7/27 ◎最初の予定艦名はシネモー Cinemaughだった(1861/12/24改名)
◎1861 起工
◎1862/5/1 進水
◎1863/9/23 退役、フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1864/1/24? 再役
◎1864/11上旬 フィラデルフィアにてオーヴァーホール(〜1865/5中旬?)
◎1865/11/25 フィラデルフィアにて係船(〜1866/5/27)
◎1867/10/1  売却
ソノマ
12
Sonoma ポーツマス海軍工廠 1862/7/8 1865/6/13 ◎1861 起工
◎1862/4/15 進水
◎1863/6/20 退役、ニュー・ヨークにて修理
◎1863/9/28 再役
◎1867/10/1  売却


排水量:1,173t(旧測定法による総トン数974t) 垂線間長:71.93m 幅:10.66m 吃水:2.92m 主缶:2基 主機/軸数:アトランティック鉄工所式inclined direct-acting機関1基(サイズ1473.20mm×2.71m)(アガワム、ポントゥーサクはPortland Locomotive Works式inclined direct-acting機関1基、アルゴンクィン、アスカトニー、シェナンゴはMorgan Iron Works式inclined direct-acting機関1基(アルゴンクィンの機関サイズ1219.20mm×3.04m)、チコピー、タラポーサはNeptune Works式inclined direct-acting機関1基、ユートーはヴァルカン鉄工所式inclined direct-acting機関1基、イオスコ、マサソイトはGlobe Iron Works式inclined direct-acting機関1基、レナピーはEdward Lupton式inclined direct-acting機関1基、マッキノーはブルックリン海軍工廠式inclined direct-acting機関1基、マタベセットはAllaire Iron Works式inclined direct-acting機関1基、メンドータ、メタコメットはSouth Brooklyn Engine Works式inclined direct-acting機関1基、ミンゴー、ワイアラシングはPusey & Jones式inclined direct-acting機関1基、アシオラはアトランティック鉄工所式inclined direct-acting機関1基、オツィーゴはフルトン鉄工所式inclined direct-acting機関1基、ポートゥックストはProvidence Steam Engine Works式inclined direct-acting機関1基、ペオリアはEtna Iron Works式inclined direct-acting機関1基、ポンティアックはNeafie & Levy式inclined direct-acting機関1基、シャムロックはPoole & Hunt式inclined direct-acting機関1基、タコニーはMorris Towne & Co. 式inclined direct-acting機関1基、タラホマはStover Machine Co. 式inclined direct-acting機関1基、ウォータリーはReaney, Son & Archbold式inclined direct-acting機関1基、ウィヌースキはProvidence Steam Engine Works式inclined direct-acting機関1基)/外輪2基 出力(計画):665馬力 速力:13.0kt 兵装:100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲4門(1865年2月には228mmスムースボア砲1門を100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門に換装)、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門(1864年には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲4門、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門。アガワムは1864年には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲4門、24ポンド・スムースボア砲1門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、12ポンド・スムースボア砲1門。アルゴンクィン、ペオリアはなし。シェナンゴ、チコピー、ユートー、レナピーは1864年〜1865年には24ポンド榴弾砲2門を増強。イオスコは1864年3月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲4門、24ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、12ポンド榴弾砲2門。マッキノーは1864年1月には24ポンド榴弾砲2門を増強、1865年5月には381mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲6門、24ポンド砲2門、12ポンド砲2門。マサソイト、マタベセット、メタコメットは1864年3月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲4門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド砲2門。メンドータは1864年7月には20ポンド砲1門を24ポンド榴弾砲2門に換装。ミンゴーは1864年8月には24ポンド砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を増強。アシオラは1864年6月には12ポンド・スムースボア砲1門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、24ポンド砲1門を増強、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を撤去、1865年3月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、279mmスムースボア砲1門、12ポンド・スムースボア砲1門、24ポンド砲1門。ポートゥックストは1864年には24ポンド榴弾砲2門を増強。ポンティアックは1864年7月には24ポンド榴弾砲4門、12ポンド・スムースボア砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を増強。ポントゥーサクは1864年には24ポンド榴弾砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を増強、1865年4月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、279mmスムースボア砲1門、228mmスムースボア砲4門、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲2門、12ポンド砲1門。シャムロックは1864年には24ポンド榴弾砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門を増強、1864年12月には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムースボア砲6門、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、12ポンド・スムースボア砲2門。タコニーは1864年10月には279mmスムースボア砲2門、228mmスムースボア砲3門、24ポンド榴弾砲1門、12ポンド砲2門、1865年9月には203mmスムースボア砲(63cwt)4門、60ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド・スムースボア榴弾砲2門、12ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、12ポンド・スムースボア砲2門。タラポーサは1864年12月には24ポンド榴弾砲2門を増強、1875年には279mmブリーチローディング・ライフル砲1門、254mmライフル砲1門、1888年には203mmライフル砲1門、60ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門。ウォータリーは1864年1月には24ポンド榴弾砲4門、12ポンド砲4門を増強、20ポンド砲2門を撤去。ワイアラシングは1864年には100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、228mmスムース・ボア砲1門、24ポンド榴弾砲4門、12ポンド榴弾砲4門) 乗員:163名〜200名
↑USS Agawam (1864-1867). In the James River, Virginia, July 1864. Photographed by Brady & Company, Washington, D.C. Collection of Surgeon Herman P. Babcock, USN. Donated by his son, George R. Babcock, 1939. U.S. Naval Historical Center Photograph.
"Naval Race between the 'Winooski' and 'Algonquin' -- The Start, 3 P.M., February 13, 1866". Line engraving after a sketch by B. S. Osbon, published in a contemporary illustrated newspaper. This contest, between the U.S. Navy "double-ender" gunboats Winooski (at left) and Algonquin (center), was conducted to demonstrate the relative merits of their differing machinery. Winooski's engines were designed by the Navy's Bureau of Steam Engineering, while those of Algonquin were designed by E. N. Dickerson. The race, run off New York and lasting twenty-nine hours, clearly demonstrated the superiority of the Navy-designed machinery. Collection of the New York Naval Shipyard. U.S. Naval Historical Center Photograph.
↑"Wood versus Iron". 19th Century photograph of an artwork by Acting Second Engineer Alexander C. Stuart, USN, 1864. It shows CSS Albemarle engaging several Federal gunboats on Albemarle Sound, North Carolina, on 5 May 1864. USS Sassacus is in left center, ramming the Confederate ironclad. Other U.S. Navy ships seen are (from left): Commodore Hull, Wyalusing and Mattabesett. The Confederate transport Bombshell, captured during the action, is in the right background. Albemarle was not significantly damaged during this action, which left Sassacus disabled by a hit in one of her boilers. Collection of Surgeon H. P. Babcock, presented by George R. Babcock, 1938. U.S. Naval Historical Center Photograph.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アガワム
12
Agawam George W. Lawrence 1864/3/9 1867/3/31 ◎1862/10 起工
◎1863/4/21 進水
◎1864/3中旬 ポーツマス海軍工廠にて修理(〜1864/4中旬)
1864/8/13 Four Mile Creekにて沿岸砲台の砲撃により損傷
1864/11下旬 ボイラー故障
◎1864/11下旬? 海軍工廠ノーフォークにて修理(〜1865/2中旬)
◎1867/10/10  James Powerに売却
アルゴンクィン
12
Algonquin ブルックリン海軍工廠 ◎1863 起工
◎1863/12/21 進水
◎1866/2 ニュー・ヨークにて機関テストのため、外輪砲艦(ダブルエンダー)ウィヌースキと29時間トライアル航行。不適とされ就役せず
◎1869/10/21 民間に売却され商船となる
◎1878 諸外国に売却
アスカトニー Ascutney George W. Jackman, Jr. 1864/7/28 1868/8/1 ◎1862 起工
◎1863/4/4 進水
◎1863/6 ニュー・ヨーク海軍工廠にて引き渡される
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
1864/8/25 ウィルミントンにてアメリカ連合国海軍艦船を追跡中に機関故障、ワシントン海軍工廠へ曳航
◎1864/9/22 ワシントン海軍工廠にて退役
◎1865/10/19 再役
◎1868/10/28 ジョン・ローチに売却
シェナンゴ Chenango Jeremiah Simonson 1864/2/29 1865/7/1 ◎1862 起工
◎1863/3/19 進水
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
1864/4/15 ボイラー爆発により損傷、ニュー・ヨークへ曳航
◎1864/4/21 退役、ニュー・ヨークにて修理
◎1865/2/1 再役
1865/3/9 Big Black Riverにてアメリカ連合国艦船の砲撃により損傷
◎1868/10/28 売却
チコピー Chicopee Paul Curtis 1864/5/7 1866/12/19 ◎1862 起工
◎1863/3/4 進水
◎1865初め 海軍工廠ノーフォークにてオーヴァーホール
◎1867/10/8 売却
ユートー
12
Eutaw John J. Abrahams 1863/7/2 1865/5/8 ◎1862 起工
◎1863/2 進水
◎退役後、ニュー・ヨークにて係船
◎1867/10/15 売却
イオスコ Iosco Larrabee & Allen 1864/4/26 1865/7/28 ◎1862/9 起工
◎1863/3/20 進水
◎チャールズタウン海軍工廠にて就役
1864/12/24 フォート・フィッシャー攻撃にて沿岸砲台の砲撃により損傷
◎1868/2 ニュー・ヨーク海軍工廠にて主機撤去工事、Bureau of Construction & Repairに譲渡されcoal hulkに改装
レナピー Lenapee Edward Lupton 1864/12/30 1867/10/17 ◎1862 起工
◎1863/5/28 進水
◎1868/8/26 ポーツマスにてE. Stannardに売却
マッキノー Mackinaw ブルックリン海軍工廠 1864/4/23 1867/5/4 ◎1862 起工
◎1863/4/22 進水
◎1865/5/11 ポーツマスにて退役
◎1866/1/18 再役
◎1867/10/3 フィラデルフィアにて売却
マサソイト Massasoit Curtis & Tilden 1864/3/8 1865/6/27 ◎1862 起工
◎1863/3/8 進水
◎1864/7/31 海軍工廠にて退役
◎1864/8/25 再役
◎1867/10/15 売却
マタベセット Mattabesett A. & G. T. Sampson 1864/4/7 1865/5/31 ◎Mattabesetと綴る場合もあり
◎1862 起工
◎1863 進水
◎1864/1/18 ニュー・ヨーク海軍工廠にて引き渡される
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
1864/5/5 Albemarle Soundにてアメリカ連合国海軍砲郭装甲艦アルベマールの攻撃により損傷
◎1867/10/15 売却
メンドータ
12
Mendota F. Z. Tucker 1864/5/2 1865/5/12 ◎1862 起工
◎1863/1/13 進水
◎1864/2/1 海軍が取得
◎退役後、リーグ・アイランド海軍工廠にて係船
◎1867/12/7 売却
メタコメット Metacomet Thomas Stack 1864/1/4 1865/8/18 ◎1862 起工
◎1863/3/7 進水
◎1868/10/28 フィラデルフィアにてジョン・ローチ&サンズ造船所に売却
ミンゴー Mingoe D. S. Mershon, Jr. 1864/7/29 ◎1862 起工
◎1863/8/6 進水
◎退役後、リーグ・アイランドにて係船
◎1867/10/3 売却
アシオラ Osceola Curtis & Tilden 1864/2/10 1865/5/13 ◎1862 起工
◎1863/5/29 進水
◎1864/1/9 チャールズタウン海軍工廠にて引き渡される
◎チャールズタウン海軍工廠にて就役
◎1867/10/1 売却
◎1868 スクーナーに改装、商船Elizaとなる
1868? 沈没
オツィーゴ
12
Otsego Jacob A. & D. D. Westervelt 1864春 ◎1862 起工
◎1863/3/31 進水
1864/12/9 Rainbow Bluffのロアノーク川にて雷撃(機雷?)により沈没
ポートゥックスト Pawtuxet ポーツマス海軍工廠 1864/8/26 1865/6/15 ◎1862/11/3 起工
◎1863/3/19 進水
◎1864/5/18 ニュー・ヨークにて引き渡される
◎1867/10/15 売却
ペオリア Peoria ブルックリン海軍工廠 1866/12/26 1867/7/28
(1867/9/5?)
◎1862 起工
◎1863/10/29 進水
◎1868/8/26 売却
ポンティアック Pontiac Hillman & Streaker 1864/7/7 1865/6/21 ◎1862 起工
◎1863 進水
◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役
1864/11/7 Sullivan's Islandにて沿岸砲台の砲撃により損傷
◎1867/10/15 ジョン・ローチに売却
ポントゥーサク Pontoosuc George W. Lawrence 1864/5/10 1865/7/5 ◎1862/10 起工
◎1863/5 進水
◎1866/10/3 売却
ササカス
12
Sassacus ポーツマス海軍工廠 1863/10/5 1865/5/13 ◎1862/9/11 起工
◎1862/12/23 進水
◎チャールズタウン海軍工廠にて就役
◎1863/10 ボストンにて修理
1863/11? ボストン〜ハンプトン・ローズ間にて故障
◎1863/11/19 ワシントン海軍工廠にて修理(〜1864/1/22)
◎1864/3 ハンプトン・ローズにて修理
◎1864/3? ワシントン海軍工廠にて改装(〜1864/4中旬?)
1864/5/5 Albemarle Soundにてアメリカ連合国海軍砲郭装甲艦アルベマールと戦闘中にアルベマールと衝突し損傷
1865/1/13〜15 フォート・フィッシャー攻撃にて沿岸砲台の砲撃により損傷
◎退役後、フィラデルフィア海軍工廠にて係船
◎1868/8/15 フィラデルフィア海軍工廠にてジョン・ローチに売却
シャムロック Shamrock ブルックリン海軍工廠 1864/6/13 1868/8/10 ◎1862 起工
◎1863/3/17 進水
◎1864秋? ロアノークにて修理
◎1865/8/15 フィラデルフィア海軍工廠にて退役
◎1865/10/17 再役
◎1868/9/1 WestbrookのE. Stannardに売却
タコニー
12
Tacony フィラデルフィア海軍工廠 1864/2/12 1867/10/7 ◎1862 起工
◎1863/5/7 進水
◎1864/2中旬 海軍工廠ノーフォークにて修理(〜1864/2下旬)
◎1865/6/21 退役、ボストンにて修理
◎1865/9/16 再役
◎1868/8/28 売却
タラホマ
12
Tallahoma ブルックリン海軍工廠 ◎1862 起工
◎1863/11/28 進水
◎1865/12/27 引き渡される
◎南北戦争後、ニュー・ヨークにて係船
◎1868/8/29 売却
◎1868/11/10 商船Mary M. Robertsとなる
◎1870/12/21 艀に改装
タラポーサ
12
Tallapoosa チャールズタウン海軍工廠 1864/9/13 ◎1862 起工
◎1863/2/17 進水
1864/11/4 疾風により損傷
◎1864/11上旬 チャールズタウン海軍工廠にて修理(〜1864/12)
◎1867 ワシントン海軍工廠にて係船
◎1869 通報艦となる
◎1872 アナポリスにて海軍兵学校の練習艦となる
◎1874 ボルティモアにて改装(〜1875)、通報艦となる
1884/8/21(1884/8/24?) Vineyard Haven沖にてスクーナーJames S. Lowellと衝突し沈没
◎のちに引き揚げられMerritt Wrecking Companyにて修理
◎1886/1/11 ニュー・ヨーク海軍工廠にて再役
◎1892/3/3 Montevideoにて売却
ウォータリー
12
Wateree Reaney, Son & Archbold 1864/1/20 ◎1862 起工
◎1863/8/12(1863/8/29?) 進水
◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役
◎1864/11中旬 メア・アイランド海軍工廠にて修理(〜1865/2)
1868/8/15 アリカ港にて地震による津波により損傷(錨の鎖を壊し、通常の高水位から500ヤード程内陸に追いやった、1234
◎1868/11/21 William Parkerに売却され船体は陸上の居住スペースに改造され、そののち数年間、元軍艦は宿屋として使用されたようだ(画像は2003年1月14日現在、アリカの北の海岸にあるウォータリーのボイラー跡)
◎Pacific Sqn 1864. Driven ashore during earthquake and tidal wave at Arica, Peru, 13 Aug 1868. Hulk sold ashore 21 Nov 1868.
ウィヌースキ
12
Winooski チャールズタウン海軍工廠 ◎1862 起工
◎1863/7/30 進水
◎1865/6/27 ブルックリン海軍工廠にて竣工
◎1867? ポーツマスにて係船
◎1868/8/25 John Mullenに売却
ワイアラシング Wyalusing C. H. & W. H. Cramp 1864/2/8 1865/6/10 ◎1862 起工
◎1863/5/12 進水
◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役
1864/5/5 Albemarle Soundにてアメリカ連合国海軍砲郭装甲艦アルベマールの攻撃により損傷
◎1867/10/15 フィラデルフィアにて売却


排水量:1,370t(旧測定法による総トン数1,030t) 垂線間長:77.72m 幅:10.66m 吃水:2.92m 主缶:2基 主機/軸数:フルトン鉄工所式inclined direct-acting機関1基(アシュロットはDonald McKay式inclined direct-acting機関1基、モノカシーはA. & W. Denmead & Son式inclined direct-acting機関1基(このエンジンには巨大なクランク軸が死点にくっついて動かなくなる癖があったので艦を動かすことは悪夢のようであった。それを金てこで動かすには6名の機関員達が苦労してやっとできた。艦長の命令でもすぐには機関員達は前進、後進を行うことが困難で中国の河川にて接岸中に竹製の桟橋を破壊してしまう「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社)より)、マスクータはMorgan Iron Works式inclined direct-acting機関1基、シャモキン、スワニーはReaney, Son & Archbold式inclined direct-acting機関1基、ウィニペクはHarrison Loring式inclined direct-acting機関1基)/外輪2基 速力:15.0kt 兵装:228mmスムースボア砲4門、100ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド砲2門(アシュロット、モノカシーは203mmスムースボア砲4門、60ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲2門。モノカシーは1889年には203mm砲4門、60ポンド・ブリーチローディング・ライフル砲2門) 乗員:190名
↑USS Mohongo (1865-1870). Post-Civil War photograph, mounted on a carte de visite. Collection of Charles Remey. U.S. Naval Historical Center Photograph.
↑USS Muscoota (1865-1869). Watercolor by Erik Heyl, 1951, painted for use in his book "Early American Steamers", Volume I. Courtesy of Erik Heyl. U.S. Naval Historical Center Photograph.
「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社より)、1866年香港にて停泊中のモノカシーの航海日誌にて補給船から補給された糧食、雑用品のリスト
バター 1樽
小麦粉 1樽
干しリンゴ 半樽
ふすま 1樽
糖蜜 半樽
石鹸 5箱
豚肉 11樽
牛肉 10樽
砂糖 1樽
ピクルス 10ケース
コーヒー 4箱
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アシュロット Ashuelot Donald McKay 1866/4/4 ◎1864 起工
◎1865/7/22 進水
◎1865/11/30 チャールズタウン海軍工廠にて引き渡される
◎1871夏? 上海にて修理(〜1871秋)
◎1874/5/8 アシュロットは李世燦水道 Li-Sye-Chan Channelの測量のために出航し、その任務を終えたのち、5月16日に鎮江に到着した。艦長エドマンド. O. マシューズ中佐 Comdr. Edmund Matthewsは同地の太守に連絡を取りながら上流に向かい、21日に南京に到着した。そこで彼は、総督が日本軍の台湾遠征の報道に深く悩まされている事を知り、アメリカがその侵略に参加しないことを確約した。 そののち、桂昌 Kiukiang、武昌 Wuchang、漢口 Hankow、楓口 Fow-Kow、桂昌府 Kweichowfuの各都市で、艦長は現地の役人と挨拶を交わした。アシュロットが洞庭湖を渡ったのち、急流や急カーヴ、川の幅の狭さによって進行が著しく遅れ、移動の困難さと危険性が大幅に増したことが分かった(艦は何回も浅瀬に乗り上げ、左舷の外輪が曲がってしまって三枚の羽根を4インチも切り取った(「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社より)))。その為、船がイチャン Ichangに到着した直後、マシューズと少数の士官や客員は下船し、8日間かけて揚子江流域を行軍し、さらに船を高くすることが賢明であるかどうか判断したのである。陸路で一行は奎府 Kweifuに到着した。2日間の滞在ののち、アメリカ人はジャンク船に乗り込み、川を下って一倉のアシュロットまで戻った。マシューズは、帰路の峡谷と急流を観察し、長江上流のこの部分を安全に航行出来るのは、車輪が別々のエンジンで独立して動く、特別に設計された非常に強力な外輪船だけであると確信したのである。その為、マシューズは船に戻った後、内陸への航海を続けず、船を海側に向け、7月21日に上海に到着した(上海への帰路は平穏な航海であったが漢口の下流にて堤防に激しく衝突しバウスプリットが船体から外れとフォアトップマストは流される(「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社より)))。しかし、アシュロットの上海から一倉 Ichangへの探検航海は、中国へのほぼ1,000マイルの水の道を切り開いた。この道は、第二次大戦前夜まで、長江パトロール Yantze Patrolとして歴史に名を残す事になるアメリカの河川警備隊の長いリストによってたどる事になる
◎1877/11下旬 上海にて修理(〜1878春?)
◎1878/11 清南部にて修理
◎1879/10中旬 上海にて修理(〜1880春)
1883/2/17(1883/2/18?) 汕頭近海にて難破、放棄
◎Cruise to Europe with USS Miantonomoh 1866. Asiatic Stn 1866-1883.
モホンゴ
12
Mohongo Zeno Secor & Co. 1865/5/23 1870/5/29 ◎1863 起工
◎1864/7/9 進水
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
1865/10/9 Straits of Magellanにて嵐により損傷
◎1865/10末 Valparaisoにて修理
◎1867/3下旬 メア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール(〜1868/8/15)
◎1870/11/17 H. Nortonに売却され商船となる
モノカシー
12
Monocacy A. & W. Denmead & Son 1866初め 1903/6/22 ◎1863 起工
◎1864/12/14 進水
◎1865末 竣工
1867/9/7 香港〜上海間にて台風により損傷(13時30分にフォアステースルが吹き飛ばされる。15時30分に第2、第3カッターが艦外に放り出され第3カッターのダヴィッドが外された。17時50分に第4カッターが波にさらわれた。7時少し前にランチが波にさらわれ、ダヴィッドが1本持っていかれた。ほぼ同時に、前檣と主檣のトップマストが無くなり、前檣のトップスル・ヤードは吊り索の所で真っ二つに折れた。荒天用メインスルも艦外に飛ばされた。19時30分に煙突の支索が切れ始め、大索と索具で支える。21時30分に煙突は舷側に傾き、落下しつつ左舷の前檣の操桁索を叩き付けて前檣の帆桁をさらっていった「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社)より)
◎1871? 上海にて修理(〜1871/3?)
◎1871/3/23 長江の海図作成を開始した
◎1871/4 5隻の船で朝鮮半島のSalee Riverを調査する遠征隊に参加する為、長崎に向けて出航し、その間に朝鮮王国の代表者と連絡を取ろうとした。韓国軍の砲台がChemulpo付近にてスクリュー推進曳船パロス Palosを攻撃した後、6月10日に水兵576名と海兵隊110名の上陸部隊がSalee River沿いの一連の砦を襲撃し、死者3名、負傷者7名の被害を受けた(123456)
◎1871/7 遠征隊は退却
◎1871/9 砲艦は長江の航海を再開◎1872/2/4 上海に帰港した
1900 義和団事件の際、白河の入り江の入口にて清国海軍の艦砲により損傷
◎1903/11 長崎の橋本氏とその息子に売却(売却額$8,000、「長江パトロール 中国におけるアメリカ海軍」(出版協同社)より)
◎ニックネームはジンリキシャ(人力車)・オブ・ジ・ネイヴィー Jinricksha of the Navy
◎Asiatic Stn 1866-1903 (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12). Korean Expedition 1871 (1, 2, 3, 4, 5, 6). New boilers 1885. Boxer Rebellion 1900. Fired upon Taku forts, 17 Jun 1900.
☆拿捕または撃沈スコア(以下の艦船)
・1900/6/14 小舟7隻(Tongkuにて拿捕)
マスクータ Muscoota コンチネンタル鉄工所 1865/1/5 ◎1863 起工
◎1864 進水
◎1869/6/17 民間に売却され商船に改装、Tennesseeとなる
1870/6/29 Little River付近にて火災により損傷、浜に引き上げられる
シャモキン
12
Shamokin Reaney, Son & Archbold 1865/10/17 1868/12/14 ◎1863 起工
◎1864 進水
◎1865/7/31 フィラデルフィア海軍工廠にて引き渡される
◎退役後、ワシントン海軍工廠にて係船
◎1869/10/21 T. Clydeに売却され商船に改装(外輪からスクリューに換装、船体延長等)、Georgiaと改名
1878/9/30 Gulf of Nicoyaにて難破
スワニー
12
Suwanee Reaney, Son & Archbold 1865/1/23 ◎1863 起工
◎1864/3/13 進水
1868/7/9 Queen Charlotte Soundにて難破
ウィニペク Winnipec Harrison Loring 1865 ◎1863 起工
◎1864/8/20 進水
◎1866/1/1 海軍兵学校の練習艦となる
◎1867末 ノーフォークにて修理、改装
◎1869/6/17 Thomas Clydeに売却され商船South Carolinaとなる
◎1879 改装(外輪からスクリューに換装、船体延長等)
◎1891 解体


Update 24/02/28